基本役の疑問

2020年06月14日

皆さんにふとお聞きしたい。小三元は何翻で数えるだろうか。若者世代はそれ自体は2翻で数え、役役を別個カウントするだろうか。私も申告時は役役小三元と申告する。が、数年前に上司に「小三元は4翻なんだから役役はいらない」と言われたことがある。ハッとした。そういえばかつては小三元が4翻だったことがある。ルールブックにも4翻として記載されていた。役役の2翻は和了り時には確実に含まれるものなのだから、それを別個でカウントするのは非効率的だという理由からである。

しかし、厳密に言えば白發小三元と白中小三元は同質の和了りでこそあれ、同じ和了りではない。故に、ここは省略するべきではないということで、小三元と役役のカウントは分け隔たれることとなったのだ。私はどちらも理解できるし、フリーで別の雀荘に行った際に未だに4翻での表記の点数表を壁に貼っているのを見たこともある。結論小三元2翻の方が正確な申告だとは思うし、小三元4翻の方が話が早いとも思う。問題なのは、小三元を4翻で数えたうえでさらに役役の2翻を付加してしまう可能性があることだろうか(そんな奴いないだろ、と思うなかれ。始めたての人間は得てして予想外のことを行うものだし、私はそんな打ち手を少なからず知っている)。

と言うか、逆に疑問に思ったことは無いだろうか。小三元が役役ありきで構成されるからそこを込みでカウントするのならば、混老頭にも必ず七対子か対々和が複合するのだから、それも省略して4翻でカウントすればいいじゃないか、と。が、それは紛らわしいから却下なのだ。混老頭を和了った際には4翻で数え、必ず付くであろう七対子ないし対々和はカウントしないでくださいと言うのは。結論これは数えなくて良いというルールは初心者殺しであり、特殊な場合のみノーカウントとした方が覚えやすいのである。

一つはカウントが頭打ちになる役満和了時。四暗刻の対々和や、九蓮宝燈の清一色などは青天井でも無ければ数える必要性は皆無だし、ただの煽りみたいになってしまう。もう一つはそもそも上位役の方を和了った場合。二盃口には一盃口がそもそも含まれているし、清一色には混一色が含まれていると見ることもできる。

つまり

①基本は単体役からカウント

②プラスアルファで全体役が構成されているならそれを強制的に加算(ただし、役満貫成立時は通常役の加算を除き、上位役の成立時はその低い側を除く)

と言うのが現在の数え方の基本ルールなのだ(これを高点法と言う)。

と、考えると、「ロン、白發中!」だとか「ツモ三暗対々」みたいなクソみたいな煽りは、マナー違反ではなくルール違反だということが分かる。え、そこに関してはどっちでもいいって?マナー違反は受け手の匙加減で許容されるが、ルール違反は明確に唾棄されるべきものである点で、この2つは大きく違う。そして、この2例は両方とも私がフリーで食らったことがあるものだ.....←


さて、上位役と言えば、純全帯么九と言う役をご存じだろうか。いわゆるジュンチャンだ。混全帯么九(チャンタ)の上位互換であり、3翻の食い下がり2翻を採る役だ。....この字面を見てなにか思うことは無いだろうか。これも私が前述の上司と話してる時にふと疑問に思ったのだが、「純」って何だ?と言う話である。麻雀の役名は深く考えなくても字牌が含まれない且つ手牌構成に何らかの共通性がある場合=清〇〇、字牌が含まれるが手牌構成に何らかの共通性がある場合=混〇〇との命名がなされるというのは想像できるだろうが、そうなるといよいよ「純」ってなんだ.....!?


答え合わせをすると、純全帯么九自体は日本で生まれた役である。中国では字牌の有る無しに関わらず全帯么九と言う役になる。が、日本に輸入されたときに、じゃあこれも字牌の有る無しで上下付けようとなったのだが、そこに何故か純の字が付けられた。日本人にとって、澄んでいるというニュアンスは、清の字ではなく純の字の方が伝わりやすかったのか、あるいは、日本で生まれた役と言う爪痕を残したかったのか。

これが分かると、略称の違いのモヤモヤについても納得できる。何故純全帯么九は頭から略してジュンチャンなのに、混全帯么九は真ん中から取ってチャンタと略すのか。これは結局元々チャンタ一択だったところに付け足したからである。つまりは、チャンタと略した人間とジュンチャンと略した人間は別の人間であるのだ。 

と言うか冷静に考えれば分かる話なのだが、么九とは1・9・字牌のことであり、そのため全帯么九とは全てにおいて么九牌が絡んでいるという意味であり、字牌ありきの手役に清(=字牌無し)だの混(=字牌有り)だのは付けようがない。だからこそ中国ではあくまで「全帯么九」という名前なのである。これが老頭牌(1・9牌)を主軸に置く役なら話は別で、例えば全帯老頭と言う役があったなら字牌の有る無しによって純(清)全帯老頭と混全帯老頭と言うのはよく分かる。つまり、「么九」と「老頭」の意味合いの違いを理解してない日本人が作った麻雀における完全な命名ミスなのである。主張を圧縮するなら、么九牌-字牌=老頭牌なのだから、純だろうが混だろうが意味不明なのである。「純全帯么九」の意味を展開するなら字牌無しの1・9・字牌を面子に絡ませて構成された手役となり、それなら全帯老頭で済む話なのである。つまり、「ハンバーガーを肉だけください」と注文しているようなものである。じゃあハンバーグを頼めばいいじゃん...という状態なのである。


こういう勘違いは日本麻雀の制定者でさえ起こすのだから、私たちも往々にしてよく起こす。ピンフに対して「どこが平和なんだよ」って言う人がいるがあれは訓読みでヒラアガリと読み、つまりは符の付かない和了りと言う意味だし、緑一色の發を中に変えた「紅一点」と言う役に「緑一色のちょいアレンジじゃん」と言う人は紅一点の方が先に出来た役だということを当然知らない。もっと言えば「牌の上下揃える派なんだよね」と言う人は麻雀牌は白と2筒以外は全て上下があるということを大抵知らない。


あるいは、それらはどうでもいいことなんだろう。異邦の言葉で綴られた名前の意味を調べるのなんて変わってるし、それを知ってても知らなくても和了り易さは変わらない。けれども、そこには必ず意味がある。名前にも、デザインにも。麻雀を愛する者として、さらに掘り下げていければと思う。

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