中国役入門:第0章

2020年07月29日

はい出ました中国役。私自身たまに中国役の話題に触れてはいたが、この話題を頭から始めるのには抵抗があった。と言うのも第一に数が多い。そして第二に名前が漢字だらけで覚えにくすぎる。その二点があまりにも大きすぎるので、麻雀以外の話題に手を出しさえした。しかし、冷静に考えると中国役も中国麻雀において使用されるれっきとした麻雀の話である。それならいっそここに触れた方がサイトの本題にはそぐわないではあるのだ。し、あるいは幼少期に中国語の初等教育を英語のそれよりも先に受けていた私だからこそそこまで難しいと思わずにそれら漢字の羅列すら咀嚼するに至ったのかもしれないが。

まぁとにかくそう思い立ったので、しばらくは中国麻雀に触れると思う。『そんな役あるんだ...』ぐらいに思ってくれたら幸いである。なんせ箸休めなのだから。

突然だが、日本麻雀の基本役はいくつあると聞かれて瞬間的に答えられる人はそもそも何人いるだろうか。実際答えは概ね40種類以内に落ち着く。自風牌・場風牌・役牌全てを込み込み1つで計算して39種類だったかと記憶している。ローカル役が雀荘のハウスルールで何個か足されたとしても、その数は40種類弱という認識でいいとは思う。

では、中国役はと言うと、81種類ある。しかも、日本に似た役があるものもあれば、全く影も形も無いものもある。こうなると、これを麻雀の付加価値として覚えるのは意外に骨が折れる。と言うか何なら本家本元の中国でさえこの全てを覚えるのはある程度熟達してからでないと困難と言うことで、採用役を大きく減らした「国際麻雀競技初級規則」という俗に初級ルールと呼ばれるものを作成したりしている始末である。

ただ、一度覚えてしまえば割と忘れないものだし、日本の麻雀も同じように、余程のブランクでも無い限り自分の聴牌形が平和が付くか付かないかは忘れないだろう。

という訳で、少しずつではあるが、中国役をここで紹介していけたらと考えている。私がそれによって何を目指しているのかは全くもって謎だし、私自身箸休め以上の価値があるとも思ってはいないが...。


さて、まず基本的な考えとして、中国役は難易度に応じて点数が高くなっている。『日本麻雀もそうじゃないか!』って?基本形が4面子1雀頭のゲームにおいて同一牌4枚しか無いのに4面子全て暗刻で構成した「四暗刻」が役満なのに対して1面子だけ順子になった形の「三暗刻」が2翻まで下がるのはどう考えても難易度が考慮されてないし、「二盃口」が3翻しかないのはどう考えても難易度に比例していないことを再度熟考頂きたいものである。

そして、大概の和了形には何らかの役が付くと言えるほど、81種類のカバー力は偉大である。なんなら日本麻雀で初心者がよくやる、鳴けるから碰・喰えるから吃みたいない所謂クソ仕掛けを繰り返して最後にロンして役が無い!みたいな状態でも、中国では役が付く。

そして、日本では符計算の時や、二盃口・三色同順を和了った時ぐらいしか使い道が無い「高点法」と言うルールにしても、中国麻雀では恐ろしいほど使われる。つまり、多方面をカバーしつつ同じ部分をも厚くカバーしている81種類なのである。なんて良く出来ているんだ!(いや、私は日本の麻雀嫌いな訳じゃないですよ。粗はいくらでもあるけど面白いし)

さらに、翻数で括った場合に、日本では1・2・3・6・13翻となっているが(流し満貫については和了形では無いため割愛)、中国では1・2・4・6・8・12・16・24・32・48・64・88という壮大なスケールとなっている。しかも複合しないとされているもの以外は基本的に成立役の分だけ加算していく。こうなると唯一のややこしい「8点縛り」のルールでさえ簡単にクリアできそうに思える(今では当たり前となりすぎて呼称すらされなくなった日本麻雀の「一翻縛り」にしても現在では簡単そうでも成立当初は難色を示されたそうだし)。


まぁ、これを知ろうが知らまいが現実がそこまでパラダイムシフトを起こすわけでも無し、それはそれである。エビの殻の主成分がゴキブリのそれと同質のムチン質だと知ったところで味覚に変化をもたらすとは限らないし、ファストフード業界での食用鶏の屠殺方法が残酷だと如何に声高に叫ばれたとて、私はチキンナゲットをいとも容易く頬張ることができる。 喫煙が違法化するまでは私を含めた喫煙者の多くは死するまで紫煙をくゆらせるだろうし、海の向こうで何が起ころうとも私たちは屈託の無い笑みを浮かべることができるのだ。

が、現在ではローカル役になっている多数の役も、基本役の数々も、元を辿れば中国麻雀から大半が輸入されているものであるにもかかわらず、以前にも端々で幾度となく書いたとおりその根源にある思想は日中で似て非なるものであることも少なくない。つまり、役の構成形は輸入されこそすれ、その役が意味するものは輸入されていないか、日本で麻雀が成熟する過程で淘汰されたことになる。これでは麻雀というゲームの一面性しか放出できていない。そこで、麻雀のこの役は実は元々はこういう役で、こういう意味がある、と言う点こそ私は掘り下げていきたい。これも自嘲込みで幾度となく書き連ねたが、私には麻雀の打牌候補や牌効率を述べるには雀力が圧倒的に欠如している。故に、現代において普遍化してしまっているが為に通常の雀士が掘り下げることの無くなった、手役の創造性の側面を掘り下げるということこそ、私に出来る役割ではないかと考えるものである。


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