日本麻雀のガラパゴス化とは
日本でスマートフォンが流行する前、携帯電話の機種は多種多様であった。メーカーの独自色の強い機能(極端なもので言えばSonyならPSのゲームが遊べたり、CASIOならG-SHOCKが内蔵されていたり)を売りにして、ワンセグや赤外線通信、おサイフケータイや絵文字は当たり前の土壌があった。しかし、世界に目を向けると日本の携帯はある種異質であり、日本のフィーチャーフォンを「ガラパゴスケータイ」と呼ばせるまでになった。根本的な話として、海外との通信規格の違いが、日本のメーカーによる生産を促し、独立したシステムの醸成に役立ったのは間違いない。
さて、雀鬼において、治外法権麻雀と言うエピソードの中で、桜井章一が卓のルールを「世界共通の右回り」と紹介するシーンがある。はて、世界共通とは何だろうか。ひょっとして私たちが普段打っているルールは標準とはかけ離れているルールなのだろうか(まぁ3人打ちの時点で既に「標準」とは違う気もするが)
そもそも日本の麻雀の最も印象深い独自ルールは点数計算である。初心者が麻雀を始めるうえで壁を感じる第一が符計算であろうし、何故こんな複雑なルールを作ったのかとは思う。とつげき東北の科学する麻雀においても「ムダに煩雑な現在のシステム」と一蹴されている。まぁフォローするなら、中国麻雀において81種類もある役を日本で30種類にまで落とし込むには別のシステムを構築したほうが早いという側面は否定できない。と言うか実は中国麻雀は点数計算は点を足していくだけのシステムであり、日本の符と翻の二点で計算がいるのは独自のシステムである。日本に輸入される過程で中国での役の大半を翻計算し、同じく役である片張や嵌張を符計算側での計算にしたほうが効率が言いとされた(単騎・片張・嵌張が2符を得られるのはその名残)。
さらには初心者殺しと呼ばれる平和。今となっては何が難しかったのかが逆に分からないが、3順子作って雀頭を数牌もしくは役牌以外(普通に考えるとここか?)で作って両面で待つだけ。ただし、中国の平和はそもそも両面待ちにする必要はない。雀頭は必ず数牌でないといけないが、和了形が4順子1雀頭であるならば、最終の待ちが片張でも構わないし、何なら鳴いても構わない。
この特徴は一盃口(中国では一般高)でも同様に見ることができ、日本の麻雀においては、タテ系は食い下がり無し、ヨコ系は食い下がり、1翻役に関しては門前限定の指定まで入ったりする(一盃口・平和・喰いタンや後付けのアリ/ナシなど)。ここに考え方の違いを見ることができる。
日本の麻雀ではその過程を楽しむゲーム性が育っている。つまり、吃(チー)の際に嵌張で喰ってみたり、碰(ポン)の際に赤を晒すか晒さないかなどである。壁の外側で待ってみたり、如何に和了るかを楽しむと言う要素が強い。
一方中国麻雀においては、そのゲーム性は和了りありきで如何に役を複合させるかという点に重きが置かれている。全部鳴いて裸単騎で和了ると役が付いたり、役が重なるだけ複合したりして、得点を重ねられる要素がいくらでもある。
と言うか、ふと思ったのだ。副露と和了りが同時に発生した場合は、和了りが優先される。それはまだいいとして、和了した牌は手牌に入り双碰なら明刻、両面なら明順として符計算されるのは何故なのか。いや、そうでないとロンとツモで同じ手牌構成の扱いになるじゃないか、と思った方。それは違う。門前ロンやツモで加符が行われる以上、そこを調整すればいいはずなのに出和了り時にだけ副露している手牌の扱いを受けるのは不自然だ。ここにもルールの欠陥があるのだ。まして点数の加算だけの本家ルールを改良して複雑化したにしても良くなったようには思えない。
日本の点数計算は中途半端に煩雑化しているにもかかわらず、これ以上の複雑化を防ぐという名目で簡略化が図られているという謎の多い部分がある。
まず符計算をしてから1の位を切り上げる(これが第一。40符と42符の違いは2符だが、切り上げると10符変わる)。
次に場ゾロ云々の計算を終わらせて10の位を切り上げる(元々切り上げているもののさらに端数を切り上げてしまえば、最早この計算は形骸化していると言える)。
しまいには100の位すら切り上げたりする(7700を8000、11600を12000...。その差は必死に作った10符分くらい違う)。
かつての日本では精算法と言う計算方法があった。この当時の計算法では子の22符4翻は5632点しかなかった。それが上記の3つの切り上げ(トリプル切り上げと言う)によって8000点まで変化してしまったのだ。前述の科学する麻雀ではこう書かれている。
「1000-2000-4000-8000でも何も問題がなく、1000-2000-3900-7700が優る根拠は存在しない。現状の得点システムには『切り上げの偶然』以上の意味は存在せず、例えば1000-2100-3800-7800に変化させることもできるのである(そのような無意味な点数列と現在の得点システムはまったく等価なものでしかない)。点数をばらけさせる必要があるというなら、和了ごとにサイコロを振った数の100倍の点数を加えるだけでもよいのだ。そうすれば意味のない点数列を覚える必要はなくなる。」
うーん、中々に辛辣な意見であるが的を射ている。計算を切り上げている時点でそこはさして重要でなくなっているのである。52符も58符も60符になるのだから、2600も2900も3000点だし、3900も4000にできるはずなのである。7700が8000点にできるのなら。
ここまで書いておいてなんだが、私は別に4人打ちに恨みがあるわけでは無いし、そのシステムは不安定な中よく重心を保っているとも思える。が、そこが深みだと言うのなら迎合こそせずに貫くべきだと思うのだ。ただ、来るものは拒まず去るものは追わずの社会において、新しい層の参加が不安視される中、その不安定でも揺らいでない軸を歪めてでも門戸を開くなら、いっそ軸など取り払って作り直せばいいのではないかと感じる。ましてやそれが元祖にはなく途中で取り付けられた後付けの軸であるならこそである。
余談ではあるが、1930年に日本を代表する麻雀打ちと日本在住の中国人実業家たちの間で「日華麻雀争覇戦」と言う大会が開催された。この当時のルールで四暗刻はあくまで暗刻子限定、つまり1つでも暗槓があればそれは暗槓子の扱いになるので、仕方なく前に切ったら放銃になったと言う話が伝わっている。何とも恐ろしい話だが、ルールはルール。現在では(恐らく)どこの雀荘でも暗槓子があっても四暗刻は認められるはずなので、皆さんも槓は忘れずにしよう。切ってしまった牌にロンと声がかかったと思うと、目も当てられない.....。