意外に奥が深い「フリテン」というルール
皆様「フリテン」をご存じだろうか。知らないと答えた方は是非全国書店やインターネットポータルサイトで日本麻雀を1から勉強していただきたいところではある。それぐらい現在では一般的なルールになったフリテンと言うルール。実はよくよく考えてみると、意外に全員が完璧な理解をしていない瞬間が訪れることがある。というわけで、今回はそんなフリテンの話。
そもそもフリテンというルールは日本麻雀にしか存在しない。と言うのも、本家本元である中国麻雀においては、以前紹介したように「河」の概念こそ同様にあれ、そこに切られている牌が「誰が切った牌か」という概念が存在しない。つまりは極端なことを言えば自分が自模ってきた和了り牌を自模切りして、下家からロンするということも可能なわけだ(ただし、これも中国麻雀入門で述べたが、自摸和了りの方が明らかに得なルールである以上、そんなことは無意味に等しい)。が、これが日本に入って暫くして事情が変わった。「放銃一家包」ルールの制定である。
はい出ました、長く麻雀を打ってきた人でも一切聞いたことがないであろう単語の登場である。ホウチャンイーチャパオと読むこのルールはつまりはどういうことかと言うと、ロン和了りが発生した場合は放銃した人間一人で支払いをする(包:パオ)というルールである。なんだ、そんなの当たり前じゃないかと思うだろうが、これも以前述べた通り、中国麻雀においてはロン和了りでも放銃者以外の人間は基礎点8点を支払わなければならないという前提がある。その為、日本で麻雀が始まった当初は中国麻雀と同様のルールで対局が行われていた。放銃一家包のルールが制定されたのは昭和に入ってからである。まぁそんな用語なんて知らなくても麻雀をする上での支障はこれっぽっちも無いので、ぶっちゃけ雑学的な要素でしかないが。
さて、現在の日本麻雀においてフリテンの扱いは一般的に自摸和了りのみ可、とするのが一般的である。が、そもそもそのルールが定着するまでには幾つかの過程を経ており、現物以外なら出和了り可であったり、フリテンはそもそも聴牌ですらないから流局時はノー聴の扱いになる場合すらある。また、もっとレアな話で言えば切ってある牌の筋牌では出和了り出来ないがそれ以外なら可というルールもあって、例えば4索を切っている1467待ちのような場合は、147は出和了り出来ず6のみ出和了り出来るという凄まじく複雑怪奇なルールとなっている。余談だが101競技連盟ではフリテンはオーソドックスな自摸専であるが、加槓している牌が待ちにかかった多面張はフリテンの扱いになる。これは地味にたった今まで知らなかったのだが、101のルールで卓を囲むことなど今後存在しうるのかは疑問なので全く問題n、おっと誰か来たようだ...。
とは言え、標準ルールで自摸専なのだから、例えばリーチ前に切っていようがリーチ後に見逃していようが出和了り出来ないというだけなのだから、理解すれば何のことはないだろう。問題は同巡フリテンである。
同巡フリテンは今現在でも勘違いしている人がたまにいるフリテンのルールである。私としてはこれこそ何のことは無いルールなのだが、門前ダマあるいは副露している状態で和了り牌を見逃した場合は、次の自分の摸打を挟むまでは出和了り出来ないというだけのルールである。ここを理解するだけなのだが、これを間違って覚えている人はうちの店でも意外にちょくちょくいたりする。親をまたぐまでであったり、ポンが入ったら解消されるだったりそういった風に理解している人は少なからず存在するのだ。これは巡目の解釈でも勘違いされがちな部分ではあるのだが、基本的に麻雀において自分の自摸番は飛ばされるということは絶対にない。例えば、自分の上家が切った牌を下家がポンした場合に、自分の自摸番は飛ばされたのではなく、下家の切り番まで戻っただけなのである。これは感覚論との戦いでもあるのかもしれないが、確かに感覚としては自分が立直をかけていて一発自摸の直前に下家がポンした場合に、自分の自摸番は飛ばされたように感じる。が、厳密に言えば一発の権利自体は「喰いあるいは鳴き、もしくは暗槓によって消滅する」だけで、飛ばされたから消滅しているわけではないのだ。つまり、この理屈によって自摸番は上家から下家まで逆回りに戻るが、一発の権利は消滅するという事象が発生するのだ。
同様のケースは片和了りの場合にも発生しうる。私自身が勤務中に起こった例を出そう。
ある客Aが筒子234索子1234446789の手格好で聴牌した。5索なら一気通貫の和了りであるが、待ちは569索である。この時、Aはこれをダマ聴とした。そして、下家が打6索。これは当然役なしなので和了れないのだが、上家が切った發を下家がポン、そして打5索。これに対してAはロンを宣言して倒牌。近くにいて呼ばれた私はチョンボの裁定をした。
このケースで難しいのは、Aの下家が親であるが故に、Aの同巡フリテンが解除されたという解釈が
①親の摸打を挟んでいるから
②ポンが発生しているから
③自分の自摸番が飛ばされたと認識しているから
のどの解釈なのかが不明瞭な点にある。①の解釈ならば、どこが親でも理論上同巡フリテンは解除されることになるし(当店は3人打ちだが、仮に4人打ちで考えても下家が親なら、親がポンした時点で親の摸打は挟む、対面が親ならそもそも下家の打6索後に親を挟む、上家が親なら同じく打發の時点で同様にである)、②の解釈なら他家でバシバシに叩き合いが発生するたびに同巡フリテンは解除されることになる。③の解釈で言うなら逆に上家の切った發を対面が鳴いた場合も自摸番は飛ばされたことになるのかという新たな疑問が生まれることになる。
とは言えそもそも答えは既に述べた通り、麻雀の理論上自摸番が戻ることこそあれ、飛ばされることは絶対にない。それらは全て感覚ありきの解釈でしかないのだ。難しく感じるだろうが、根本はさらに手前に述べた「自分の摸打を挟むまでは同巡フリテンの適用は解除されない」ということに尽きるのである。それ以上でもそれ以下でもない。
...冷静に考えてみれば奥が深いのは曲解の数々であって、本質自体はいたってシンプルなものだ。それを言い出したら他家に三味線チェックをかける人々も曲解の数々で奥が深いことになる。
というわけで、今回はフリテンについてお届けした。我ながら当たり前の話を並べ立てたに過ぎないが、放銃一家包の一単語だけでも覚えて帰っていただければ重畳である。