幻の役満「一色双竜会」とは

2020年05月26日

現在の麻雀に至るまでの過程で、日本国内でも多くの役が生まれ、そして消えていった。現在配牌を取って暗槓から嶺上を和了ると天和ないし地和はつかずツモ・嶺上からだが、かつては頭槓和と言う役が付いた。赤色の無い牌(つまりは一・三・五・六・七・九筒/一・五・七・九索/一~九萬及び中以外)で和了ると断紅和と言う役があったし、そこから派生して黒一色(248筒/東南西北のみを用いての役)や、緑一色が成立した。所謂古役と呼ばれる役である。

古役と言えば、咲のマンガにおいて、長野県大会決勝の成立した和了りは全て古役であるというのは一時期有名になった話ではある。加治木の和了った二索槍槓、衣の一筒摸月、咲の風花雪月・花鳥風月・五門斉・一色四順・五筒開花・四連刻であっただろうか。

二索槍槓は、二索が槍に似ていることから(現在でも二索を槍と呼ぶ人は少数存在する)二索の槍槓を特別視したものである。

一筒摸月はそもそも海底摸月自体が海底に写った月をすくいとると言う意味合いの役であり、一筒が満月に似ていることから特別視したもの。

風花雪月は言葉に合う意匠の牌をそれぞれ風(風牌)花(五筒が花に見えることから)雪(白)月(一筒、前述)に見立てたもので、花鳥風月も同じく同じく花(五筒)鳥(一索、言わずもがな)風(風牌)月(一筒)の意匠からである。

五門斉は、四風子連打と同じく別ベクトル、というか中国の思想が入っている。一応五門斉自体は萬・筒・索・風牌・役牌の5種類を全て使うと成立する役で、この5種類というのが中国の目指す漢・満州・蒙古(モンゴル)・西蔵(チベット)・回紇(ウイグル)族の五族共和思想と合致しているからと言う理由で成立した。別名はまさしく「五族共和」である。

一色四順は現在でも中国麻雀においては採用されており、四連刻にいたってはローカル役として現在でも採用されている雀荘さえある。

そして五筒開花も、ここまで読んでいただけたならお判りだと思うが、嶺の上で花開くという意味合いの役であり、五筒が花に似ていることから特別視したものである。

これら古役を見てもらえれば分かるが、牌の意匠・種類からしっかりと役に関連付けされており、言うなれば非常にオシャレな感覚がする。ざっくばらんに言うなれば、

「槍みたいな牌で槍槓ってカッコよくね!?」

「この牌姿って5種類牌使ってて中華民族の理想っぽくね!?」

と言ったところであろうか。

さて、古役にはこんな風に比較的フィーリングで作った感じの役が意外と存在する。現代の役の名称から推察できる意図が〇暗刻や七対子・〇一色ぐらいであることと比較すると、寧ろ理解しやすいと言える(尤も名称の本質は中国語なので、日本人にはどのみち分かりにくいかもしれないが)。


しかし、これらは時に役満になったり満貫止まりであったり、その揺れは比較的激しいが、中国麻雀において役満(というか厳密に言えば字一色や四暗刻と同じ64点役)でありながら、日本においてはその知名度が全く無い役が存在する。それが本題の「一色双竜会」である。

牌姿としては、清一色純全帯么九二盃口の雀頭が五の形である。つまりは11223355778899の形である。ん?純全帯么九くずれの普通のチンイツリャンペーが何で役満と思う人はいるだろう。

そここそがこれまで古役についてダラダラと書き連ねた理由であり、そこには古役の真髄が眠っている。

字面で見る通り役の意味としては、一色の二匹の竜(123の一盃口と789の一盃口)が会っているという意味である。結論から言ってしまえばこれが表しているのは、すなわち彦星と織姫である。一年に一回七夕の日しか会うことを許されない二人に、この清一色を見立てているのである。え?この清一色が彦星と織姫?意味が分からない...となるのは凄く理解できる。麻雀牌の組み合わせによって発生する手役を考えることこそあれ、この組み合わせって〇〇みたいだなぁ...と考えることなど日常的にあることではないからだ。

しかし、麻雀と言うゲームが成立した段階において、当然役が多い方がゲーム性が増して面白くなるという中で、この牌姿を七夕の二人に見立てた人間の何と想像力のあることかと、私は感心せずにはいられない。


日本の麻雀においてはある種本国の中国麻雀よりもその戦略性や確率性が計算され、戦前から現代の牌効率に近い研究がなされてきた。符計算や振り聴と言うルールの成立によって日本麻雀の戦略性はそれまでに比べ明らかに増し、また自動卓や点棒の読み込みシステムの開発によってよりスピーディなゲーム進行が可能になったことは間違いない。

だが、その役自体を一から作る、言うなれば手役創作においては、黎明期の中国の先人の想像力には頭が下がる。123456789という形を見て、上から下まで貫いているから「一気通貫」と呼ぶ日本と、一匹の完全な竜に見立てて「清竜」と呼ぶ中国。そのインスピレーションの違いに、私は麻雀の本質的な面白さや先人たちの創意工夫の跡が見え隠れしているように思える。


次に麻雀を打つ際には一つ気を付けておいてほしい。

あなたが今流した手牌、実は幻の役満が隠れてはいなかったかを。

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