アメリカ麻雀入門
おいおい日本麻雀追及するつもりないだろと罵声を浴びそうな気もするが、中国麻雀を取り上げたと思えば次はアメリカ麻雀に移るだなんて自分自身そう思わないでもない。
が、このコラムを読んでいただいている皆様に限らず、日本の麻雀プレイヤーの方々は知っているだろうか。「アメリカ麻雀の方が日本麻雀より歴史が長い」という事実を。と言うことで今回はアメリカ麻雀について。
そもそも日本で麻雀そのものについて触れたのは実は夏目漱石だということも知られていない。彼は1909年に朝日新聞で「満韓ところどころ」というのを連載しており、これは彼の中国旅行を綴った旅行記のスタイルを取っているのだが、その中で大連に行った時に、ある4人が将棋の大駒ほどの大きさの札を分けて博奕を打っていたという描写がある。これが初出だと言われている。しかもこれでさえ読者からすればシステムが解説されていない故によく分からんから流すくらいの描写で、日本でゲームとしての麻雀が一般的に認知されるのはそこから20年を経た1920年代後半に、文芸春秋で菊池寛が大々的に取り上げるのを待つことになる。
が、1895年にアメリカの博物館員であるステュアート・キューリンが著書「Chinese Games with Dice and Dominoes」において麻雀について触れている(キューリンはそれ以外にもネイティブアメリカンや中国・朝鮮の民族的なゲームについての研究で著名)。そしてこれが初の中国語以外で麻雀に言及した書籍である。アメリカに麻雀が「入ったのは」それより少し古い1893年、シカゴ万博の時であるが、この時は前述の日本と同じく、アメリカ人からすれば中国の民族文化の展示物の域を出なかった。
アメリカで流行を迎えるのは1920年代初め、当時は牛の脛骨を削って作られていた高級品である麻雀牌がバカ売れする。日本人にはよく分からない価値観だが当時は麻雀を題材にした曲も複数作られた。そして1924年にはアメリカで初のルールブックが作られることになる。この時、麻雀において最初にアメリカ独自の役として「緑一色」と「七対子」が役として制定された(これら2役は後に中国や日本に逆輸入の形で伝わることになる)。とは言えこの当時のアメリカ麻雀において目新しい点はこの2役と1翻縛りくらいで、しまいには安和了り対策として1色縛りという無茶苦茶なルールが採用されることになる。和了りを常に1色に縛ってしまえば最早麻雀である必要が無い気もするが...。
さて、とはいえブームは一過性のものだったのか、30年代に入るとその人気に陰りが出始める。そこで生まれたルールが、アメリカ麻雀の他とは一線を画しているルールである「チャールストン」である。チャールストンとは、牌交換ルールの名称で、ザックリ言えば配牌取得時に、上下対面とそれぞれ3枚を交換するという、ポーカーやブラックジャックなどのトランプゲームが普及した国、アメリカっぽいルールである。
あるいは花牌8枚やジョーカーも採用され始めた。花牌と言っても日本や中国のそれとは使い方が異なり、花牌も面子構成牌としての採用であり抜きドラでは無く、ジョーカーはワイルドカードとしての採用である(日本で言うなら白ポッチがイメージとしては近いだろうが、ジョーカーは8枚採用されている。8枚って...入れすぎだろ)。
と言う説明を聞くと、高得点が出易くてしかも和了りが大量に出る、我々東亜の麻雀勢からすれば何ならクソゲー臭もしないではない。が、実際それは異なる。なぜならそこからさらに進化と深化を重ね、最早我々の知る「麻雀」というゲームとは相いれない体系となっているからである(いや、ディスってるわけではなくて、別のゲームになっちゃってるから一緒にゲームは出来なくなってるのよね...)。
さて、アメリカ麻雀においての面子は、我々の言う面子と大きく異なる。第一に順子が禁止である(これは前述の安和了り対策の行き過ぎたパターンである)点が大きい。そうなると『え、対子と刻子しかできないじゃん!』となるのも至極当然である。が、先程も言った通りアメリカ麻雀は我々とは違う体系になっている。面子は1枚(single)・2枚組(pair)・3枚組(pung)・4枚組(kong)・5枚組(quint)・6枚組(sextet)によって構成され(これらは同一牌での話である。1枚から4枚までは言うなればそれぞれ単騎・対子・刻子・槓子であり、5枚・6枚セットはジョーカーを用いて構成するわけである)。しかも、七対子のように全部対子で役を作るわけでもなく、極端な例を出すなら、1p2222s666m花花東東東發みたいな和了形になるわけである。
いや、待て待て、と。じゃあ面子は分かったと(いや、日本麻雀に慣れているとそもそも分かるかどうかも怪しいが、まぁ納得したとして)。それって役は何やねんとなる。中国麻雀みたいに役一覧でも作って説明してくれ、と。残念ながらそうしたいのは山々だが、そうできない最大の理由がある。「有効役は毎年変わる」。ワオ、クソ面倒くさいじゃないか。
アメリカ麻雀で現在一般的なルールというのは、「全米マージャン連盟」という所が1937年に作った「NMJLルール」である(NMJLとは即ちNational Mah Jongg League。つまりは全米マージャン連盟ね)。このルールの最大の特徴と言うのが毎年役が変わるというものなのである。しかもこの有効役はこの連盟から毎年発売される有料のガイドブックにしか載っていないというのだからもう...何と言うか...ね。
つまり、だ。採用役が毎年変わる上にその手格好も我々の知る麻雀とは大きく異なるシステムで構成されるのだ。私が前述した「相いれない体系」の意味をご理解いただけただろうか。
とは言え、これじゃいまいちピンとこないと思うので、役の具体例を説明しよう。例えば、ガイドブックには「GGGG」だとか「2020」だとか書いてあったりする。これはつまり、GGGGは發4枚で役として成立する(我々の価値観には無いが、根本的に白發中はその年のガイドブックに書いてない限り役では無い)と言うこと。2020は同一種類の2を2枚と白2枚で役として成立するということ。『え、なんかローカル役の「南北戦争」みたいじゃん』と思った人、鋭い。「南北戦争」はこのNMJLルールのもと採用された役なのだ。だから当然4面子1雀頭と言う我々の価値観をブッ壊してくる和了形を提示してくる(一応知らない人の為に説明すると、南南南北北北1861一八六五の牌姿の役である。南北戦争の開始年と終結年、および南北戦争の名を表している役である)。
さて、アメリカ麻雀の細かい部分は説明し終えたので、対局の流れに移りたい。
流れとしてはまず配牌を取る(ちなみに誰が親になるかはぶっちゃけ適当)。そしてチャールストン2回(上家から不要牌3枚をもらって手格好と吟味して下家に不要牌3枚を渡す。対面から不要牌3枚をもらって手格好と吟味して不要牌3枚を対面に渡す、下家から不要牌3枚をもらって手格好と吟味して上家に不要牌3枚を渡す。これが1セットで、次にこれの逆を1セット。はい闘牌開始まで既に長いー)。しかも、この後さらに合意さえ得られれば対面と最大3枚の交換も行えるというホントにクソ長いイントロがあるのである。そして、後は先ほど説明したガイドブックに採用されている役を作りに行くという流れである。ドラは中国麻雀と同じく存在しないし、暗槓せずとも槓子として手牌で使うことが出来る。ちなみに少し小難しいルールとしては、ジョーカー込みの鳴き(順子が採用されていないので明刻子(pong)か明槓子(kong)限定であるが)をしている場合に、後々その本物の牌を引いた場合にはジョーカーと交換することが出来る(つまり、例えば44ジョーカーと持っている場合に対面の4を鳴いてpongにしたとする。その少し後に4を引いてきた場合に、晒しているジョーカーを引いてきた4と交換することが出来るということ)。そしてジョーカーはワイルドカードなのでテンパっているならそのまま自摸和了り出来る(注釈が増えすぎて嫌だが、これも説明するなら例えば架空の「七五三」と言う357牌だけで和了るという役が採用されていたとして、333⑤⑤⑤⑤七七七の手牌に三三三ジョーカーの鳴きを晒しているとする。この時三を引いてきて晒している三kongのジョーカーを引いてきた三と交換する。そうすればジョーカーを3のkongにも⑤のquintにも七のkongにも取れるのでこれは和了りとなるわけである)。何か大味な戦略ゲームみたいで、若干面白そうな気もするが、最早私の知っている麻雀とはかけ離れていて複雑な心境ではある。
ちなみにここで挙げた役は全て例であって、役の一覧についてはNMJLが著作権を強く主張するので挙げることはできない(ゲームを普及させるつもり無ぇじゃねぇか...)。
点数は25点縛り(とは言えこれがどの程度の難易度かは私にも分からない)で、自摸和了りは全員が和了り点の倍払い、出和了りなら放銃者は2倍でそれ以外の人は点数をそのまま払う(結局払うんかい!)。ここらへんは中国麻雀の残滓が見て取れる。また、ジョーカー無しで作ったなら点数が倍になるというルールもあって、日本の鳥打ちルールっぽくて嫌いじゃない。
如何だっただろうか。前回中国麻雀を知って『こんなの麻雀じゃない!」と多かれ少なかれ思った諸氏は、アメリカ麻雀を知ってどういう反応を示すかは私にも分からないが、悪い意味では無く、同じ「牌」を用いて同じ「麻雀」と名の付く別のゲームと理解しても良いかもしれない。形式は似ている部分もあるが、非なる部分が如何せん目に見えて多すぎる気もする。しかも有料のガイドブックを買わないと最新の採用役が分からず、なおかつ権利上の問題で当年の役が知れ渡らないというのは明らかに閉鎖的に感じる。が、NMJLは1週間クルーズでの麻雀大会を主催したり、そもそもアメリカ麻雀の主要層は実際富裕層が多いので、ケチ臭いと感じる人間はプレイヤーには少ないのかもしれない。アメリカ麻雀が一般層に知れ渡るにはもう少し時間や機会が必要だと思えたし、あるいはNMJL自体が設立から90年を経て未だにその体制を変えていない以上はそんなタイミングは訪れないのかもしれない。し、そもそも相いれない日本の麻雀をプレイする私のこんな考えも、アメリカ麻雀プレイヤーからすれば大きなお世話なのかもしれない。