「今日はダメな日」の処世術

2020年05月21日

何をやってもダメな日、そんな日に直面したことはないだろうか。

勿論、同じことを繰り返していればいいだけ・気持ちの問題、とか言ってしまえばそれに尽きるのかもしれない。そう考える諸氏にとってはここからの話はまったくもって無意味かつ不毛な話にはなるのだろうが、まあ暇つぶしとして見ていただければ幸いである。

いつも通りの打牌を繰り返しているのに、今日はよく放銃につながる。麻雀自体が対局相手が変わることで千変万化の可能性が生まれうるゲームが故にそれすらある種の気のせいなのかもしれないし、実際数値化してみればいつも通りなのかもしれない。いつもよりグッとくる放銃が多いだけで、数自体はそう変わらないこともある。

しかし、そんな日は必ずあるのだ。パチンコに行ってもこちらがハメまくっているときに隣に座った年配のお客さんは決まってすぐ当てていく。たまたま目覚ましが鳴らずにたまたま電車に遅れて、たまたま段差に躓く.....。今日はダメな日と感じる瞬間である。

麻雀界において名を残す「雀鬼」桜井章一は言った。「運は目には見えない。ゆえに感じなければならない」と。

所謂ツイてない瞬間に、運がないと捉えるのは非常に簡単である。あるいは、相手が非常にツイていると捉えるのも同様である。「他山の石は青い」とはよく言ったもので。けれども、そこで考え方を変えてみると、意外と未来は明るい。

運が無いのを気づけている分、むしろツイているという考え方だ。生きていくうえで、本当に大事な瞬間はそれと気づかせないままやってくるものだ。そういった時の為に運のストックを貯めさせてくれていると考えてしまえば、割とポジティブになれたりする。

頭の方に書いた通り、身も蓋もないことを言ってしまえば、それは気持ちの問題なのだろう。しかし、大事なのはその発想自体を否定するのではなく、そうなった時にどう対処すればいいかという処世術では無かろうか。

古代ギリシャの哲学者であるソクラテスの思想に「無知の知」というものがある。すなわち、人間の進歩の第一は自らが「知らない」ということを「知る」ことである、というものである。ここから考えると、自分がツイてないと小さなことから認識できているということは、これ以上ないほどツイていると言える。大きな転機からでは無く、少しの要素から自らの調子を類推出来たのだから。

まぁ尤も、ソクラテス自身もその伴侶に悪妻として名を残すクサンティッペを持ち、数々の不遇な目に遭った上で、最期は死刑に処されることとなる。

彼が言ったとされる言葉に、このようなものがある。曰く、
「良い妻を持てば幸せになれるし、悪い妻を持てば私のように哲学者になれる」


何事も捉え様と言ったところか。

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